太田光代「年下は考えていなかったし、 本当は専業主婦になりたかった」それでも結婚した意外すぎるきっかけ

タイタン代表取締役社長 太田光代さん 強い絆で結ばれた「できる妻」の30年目の結婚観

 

「結婚」が、万人にとって幸せではなくなってきた今の時代。従来の法律婚だけにとらわれない、さまざまな家族の形も存在するようになってきました。
それでもなお、なぜ私たちは「結婚」という言葉を意識してしまうのでしょうか。周囲の目が気になるから? 愛を形として残したいから? それとも、孤独だから? 1人1人が自由に生きられる時代に、他の誰かと生きる理由ってなんだろう。

太田光代「7年付き合った元カレがしてくれたことを、太田と付き合ってから、彼にしてあげていた」

今回お話を伺ったのは、タイタン代表取締役社長の太田光代さん。最初は好きでも嫌いでもなかった太田光さんとの結婚を後押しした意外なきっかけとは? そして太田光代さんが考える結婚とはーー?
居つかれてしまっただけ、最初は好きでも嫌いでもなかった

世間からどう見られているかは分かりませんが、今現在、私たちの結婚生活は、決してラブラブではないです。たしかに、昔、太田に仕事がない時期はラブラブだったかもしれません。

30年ぐらい前、爆笑問題には、全く売れない時代があって……。芸人って、売れない時期は、アルバイトで生活費を稼ぐのが普通なのに、彼は接客も計算もできない。外での仕事には不適合な人なので、それを見かねて、「もういい。私が働くから」と。

そういう不遇な時期を支えたイメージがあるから、おしどり夫婦みたいに思われているのかもしれません。今は、どちらかというと“ビジネスパートナー”って感じ。いつ離婚してもいいんですけど、離婚の手続きをするのも、財産分与をするのも、全て私だと考えると割に合わないからしないだけで……(苦笑)。
太田と付き合うことになったきっかけは、向こうに勝手に居つかれちゃったからなんですよ。当時、彼と私は同じ芸能プロダクションに所属していて、合同コントの打ち合わせのためにみんながウチに集まった。打ち合わせが終わって、田中やそのほかのメンバーは帰って行ったんですが、太田だけ帰らなかったんです。

当時は、私の方が忙しくて、「なんでいるんだろう?」って思いながら出かけて、帰ってもずっとテレビゲームか何かに夢中になってる。居座られて3~4日目になると、判断力がなくなって、私も「(性的な)目的を果たせれば帰るのかな?」と思って、減るもんじゃないし、一回ぐらいいいかと(笑)。たまたま、そのときは7年付き合った彼と別れてフリーだったので。ズルズルとそういう関係になってしまったんです。

 

モデル時代

高校卒業後、モデルとして活動を始める。雑誌モデルほか、モーターショーに出演したりもした。当時は水着モデルは23歳までという暗黙のルールがあり、ミスコンでモノマネを披露したことがきっかけでタレントに転身。

私は、年下は、絶対嫌だったんです。母の家系がみんな年下と結婚して、不幸になっているように見えたから。

居座られて8ヵ月ぐらい経った頃に、流石にこのままではまずいと思ったので「好きじゃなかったら出てってください」と言ったら、「え、付き合っているんじゃなかったの?」と。そのときはもう情も移っていたから、「なら、私が仕事をしていけばいいか」みたいに思って。親戚からの圧はあったけど、結婚しようとは思っていなかったです。

でも、私が25歳のバレンタインに、チョコレートを3000円以上買うとできるコンピューター占いをやったら、相性100%って出たんです。占いの人からも「100%は初めて見た。すぐプロポーズした方がいい」って背中を押されて。「もし、結婚したいって言ったらどうする?」「別にいいよ」みたいな(笑)。
7年付き合った元カレが私に全てを教えてくれた

売れない時代を経て、今から15年ぐらい前までは、寝る前に3時間とか二人で話をして、そこから彼がネタを拾うようなこともありました。でも、最近は全然遊んでくれない。人って変わるんですよ。

とくに、ここ何年かはひどい。世間に「可哀想」って思われたいのか、理不尽なことですぐ怒り出すすごく怖い人みたいに私のことを話す。

でも、彼は自分に都合の悪いことはすぐ忘れるタイプだし、常識を知らないところも多分にあります。つい暴言を吐きがちな彼のことをフォローできるのは私しかいないのに、自分がやった過ちを忘れて、私が一方的にキーキーしているように語るんです。

ただ、私が結婚する前から、とくに好きでも嫌いでもなかった太田の面倒をみることにやりがいを感じるようになったのは、理由があります。太田の前に7年間付き合った彼氏が、すごく愛情深くて、分別と思いやりとサービス精神のある大人で。

私は17歳から23歳まで、彼の愛情を一身に受けて、わがままに、伸び伸びと生きることができていた。私は、その人にしてもらったことを、太田と付き合ってから、彼にしてあげていたんです。

 

出会ったころ

同じ芸能プロダクションに所属し、合同コントの打ち合わせ(太田光さん曰く“合コン”)で光代さんの家に集まって、光さんただ一人だけそのまま帰らなかったことで、情が移ってしまい結婚に至る。仕事のなかった光さんは光代さんに食べさせてもらっていた。
本当は専業主婦になりたかった

元カレと付き合っていた当時は専業主婦になりたかったから、7歳年上のこの人と結婚して、30歳になったら着物を着て、何かお料理とか陶芸なんかのお教室を開いて暮らそう、と。

30代からの人生をすごく楽しみにしていました。でも、高校を卒業してから始めたモデルの仕事が軌道に乗ってしまった。他にもいくつか要因があったんですが、31歳になった彼が「もう待てない」となったことも含めて、彼とはお別れすることになりました。その直後に太田に居座られたんです!

小さい頃は、お医者さんになりたかった。私は、1歳半のときに先天性股関節完全脱臼という足の病気になり、手術しました。3歳になるまで国立小児病院(当時)に入院していたんです。物心ついたときには自分の目に映る社会が病院だったこともあって、お医者さんに憧れたんですが、自分にそこまでの学力がないこと、家の経済的なことも考えると、奨学金をもらえるほど優秀じゃないし、そこまで頑張る気力が失せて、あるとき「やーめた」と。

それで一旦目標が消えたあと、お友達と通った料理教室で、花嫁修業にきている20歳前後の女の人を見て、「お嫁に行く前の女性って、キラキラしてる!」と思ったのをきっかけに、将来の夢を専業主婦へとチェンジしました。
愛されることに感謝し、自分もどんどん愛していけば、二人の関係はもっと深くなる

元カレと付き合っているときは、自分が甘えているなんて思っていなかった。愛されることが当たり前だと思っていた私が、太田と出会うことで、「ただ愛されているなら、そのことにもっ感謝し、自分からもどんどん愛していくことで、二人の関係はより深くなる」と気づけたことは、ラッキーだったのかもしれません。親戚もみんな年下と結婚するくらいだから、面倒見の良さみたいなのは血筋かもしれない(笑)。
 
30代後半で、妊活もしましたよ。私は子供があんまり好きじゃないし、扱い方がわからないんですが、一人っ子同士の結婚で、あちらのお父さんが望んでいたので、やれることはやらないと、と。結婚って、お互いの家族と繋がることでもあるから。

妊活を頑張っていた時期は、授かりませんでしたけど、今も、受精卵がふたつ冷凍保存してあります。体外受精で授かるチャンスはゼロではないんですが、もう育児は無理。大体、太田にしても、事務所の芸人にしても、みんな大きな子供みたいなものですし。

 

結婚当時

コンピューター占いの相性100%という結果に背中を押されて、光代さん26歳、光さんが25歳のときに結婚。その時の人生の波動が、ある時期からピッタリと一致していたという。入籍の日は「六星占術」で吉日を調べて決めた。
結婚は相手によって、自分のことを深く知る手段

若い世代に結婚を勧めるか? こんな、ネガティヴなことばかり言ってますけど(笑)、勧めたいですね。コロナ禍で、今、急激に時代が変化しているじゃないですか。ただでさえ人と人とが分断されていく中、家族っていう単位はすごく大事。結婚してダメだったら離婚したっていいんだし。

私は、たとえ太田と離婚しても別の誰かと再婚はしませんが、周りには2回3回結婚している友人もいます。彼女たちは、『何度結婚しても、同じことを不満に感じるようになる』って言ってますね。相手が完璧じゃないと、結局、気になるところは同じだって。

でも、そうやって文句や愚痴を言えるのも、結婚したからこそ。結婚は相手によって、自分のことを深く知る手段なのかな、と思います。
タイタン設立

 

1993年に、爆笑問題と3人で事務所「タイタン」を設立。事務所を離れ、フリーで活動していた二人のマネジメントを担い、各所に売り込みに走る日々。
【PROFILE】

太田光代/1964年生まれ。爆笑問題をはじめ多くのタレント、構成作家を抱える株式会社タイタン代表取締役社長。モデルを経てタレントとして活躍する中、太田光と出会い、1990年に結婚。1993年事務所「タイタン」設立。夫婦について描いた著書に、『爆笑 夫婦問題』(幻冬舎文庫)、『奥さまは社長』(文春文庫)などがある。