エゴを抑えることが成功のカギ

皮肉なことに、成功そのものが失敗の最大の原因となる場合がある。矛盾していると思うかもしれないが、100%以上の利益を出して初めて株式市場で大きな成功を収めてしまうと、自分が投資の神になったかのような錯覚に陥ることがある。しかしこれはエゴが生み出した錯覚で、非常に危険である。トレーダーであるかぎり、エゴとの戦いが終わることはない。それは、エックハルト・トールの言葉を借りれば、「エゴは常に自分を見失うことを警戒している。それは真実なんかよりも自分自身のほうが重要だから」なのである。われわれがトレード日記を記録していたころ、ウィリアム・オニールはよく「真実を敵に回してはならない」と言っていた。エゴに振り回されるようなトレーダーは真実を敵に回すことになる、と警告していたのだ。1990年代後半のバブル時代には、自分はすべてを知り尽くした無敵トレーダーである、と思い上がる投資家が市場に蔓延していた。彼らはバブル市場の天井近くでうまく保有株を売って大金を稼いだ。しかし、その成功が彼らの多くを破滅へと導いた。彼らのなかには「成功したのは自分の才能によるものだから、おとぎ話の魔法の杖のようにちょっとその才能を一振りしておまじないをかけるだけでまた同じような成功が収められる」と信じる投資家が多くいたのだ。自分は金儲けの天才だと信じた投資家の多くが、成功をたたえる「記念品」としてスポーツカーや別荘や自家用ジェットの共有権などを買った。それだけでなく、今のROI(投資収益率)を5年、10年、15年後と継続すればどれほど金持ちになっているかを想像したのである。1999~2000年にウィリアム・オニール・アンド・カンパニーを辞めて自分の店を開いたり、ポートフォリオマネジャーとして独立開業した投資家がいた。もちろん、自分はマーケットのことをすべて理解したという信条のもとに下した決断だったのだろう。しかし彼らのマーケットでの経験は10年に満たないどころか、ひとつの相場サイクルのほんのわずかな期間にすぎなかったのである。マーケットで大きな成功を収めると、ディズニーの名作映画『ファンタジア』に出てくる魔法使いの弟子のようになってしまうのかもしれない。これは半人前の魔法使いであるミッキー・マウスがほうきに魔法をかけて大失敗してしまう、という有名な話である。ミッキーはほうきに自分の代わりに仕事をさせる魔法をかけた。するとほうきは仕事を始めてくれたので、ミッキーは気をよくして眠りについてしまう。しかし、実は魔法など効いていなかったのだ。勝手に動き出したほうきを止めることができないミッキーは自分の力のなさに気がつくのである。ミッキーは自分の実力を過大評価してしまったがために、最終的にはほうきが生み出した大きな被害に悩まされる結果になる。同じように、マーケットでちょっとした成功を収めるのは危険が伴うことなのだ。ウィリアム・オニールはわれわれにこう教えてくれた――「マーケットで大金を稼ぎ始めると、自分が何かすべてを理解したような気持ちになるだろうが、実際は何も分かっていないということを忘れてはならないぞ!何もかも分かっているのは、投資家ではなくマーケットのほうなのだ!」。これは投資の本質であり真実である。すべてを理解しているのは投資家ではなく、マーケットのほうなのである。そのマーケットが示すサインの読み方とマーケットの動きを学ぶのが、投資家の仕事なのだ。つまり問題なのは、マーケットで大金を稼ぎ始めると、マーケットについて理解したと勘違いしてしまうことなのである。何か知っているとすればそれはマーケットのほうなのに、自分がマーケットを超越した存在だと思いこんでしまうのだ。そしてマーケットに向かって次はこう動くべきだとか、これが起こるべきだとか言ってみたりする。それではマーケットと純粋な対話をしているとは言えない。純粋な対話とは、マーケットを毎日欠かさず観察して、マーケットの示すサインを読み取るという作業である。マーケットに命令したところで、すべてを牛耳っているのはマーケットである。そんな投資家には、マーケットが喜んで手痛い教訓を教えてくれるだろう。いくら合理的にマーケットを予測しようとしても、未来を正確に言い当てることなどだれもできない。その良い例が「根拠なき熱狂」である。これは1997年にアラン・グリーンスパンが言った有名な言葉である。この言葉を受けて、多くの投資家が株価の上昇には正当な理由がなく「根拠なき熱狂だ」と信じ込み、マーケットの天井を期待していた。ところが実際にはその3年後までバブルははじけず、結果として投資家は大きな損失を出して、多くの機会損失が生まれた。トレーダーとして成功すればするほど、マーケットに自分の考えを押しつける傾向が強くなっていったことを示す良い例である。マーケットで大きな利益を得ると、もうひとつ別の問題が起こる。われわれの住むこの社会では、人の所有物を見てその人の成功度を判断する傾向がある。だからこそ、マーケットで大きな成功を収めてエゴの塊になっているようなトレーダーというのは、現代のそのような物質主義の文化に後押しされて、大きなワナにはまってしまう可能性がある。『トレーダー』という雑誌の表紙を見ると、浪費や物質主義という浅はかな概念がトレーダーの動機になっているという現実が垣間見える。豪邸やスポーツカー、自家用ジェット、高級ワイン、高級時計などの物が成功の証しとしてトレーダーの間で崇拝され、そしてトレーダーとして目指すべき理想の姿として提案されている。われわれはこの考えには断固として反対である。エゴを満たすことがトレードをする動機であってよいはずがない。真のトレーダーであれば、単純に大化け株をつかんで「ゾーンにはまった」ときこそが、最も心穏やかになり、最高の満足感を得られる瞬間であるはずだ。つまり、成功するトレーダーになることの本当の意味とは、トレーダーとしての腕を磨くことで至福の喜びを感じること、それに尽きるのだ。究極の目的はお金ではないということである。たしかにトレーダーとして成功すれば裕福になる。それはほかの職業でも同じことだ。しかしわれわれが投資家たちに願うのは、トレーダーとしての腕を磨くことに喜びを覚え、そしてそこに満足することの喜びを見いだしてほしいということである。そのような倫理観を持った結果として、マーケットで成功して大きな利益を手に入れることができればよいのである。そして、もし実際に投資で大儲けをすることがあるならば、物質主義に走って物に埋もれて人生を複雑化するのではなく、その裕福さを利用してできるだけシンプルな人生を送ってほしい。ヘンリー・D・ソローが『ウォールデン森の生活』(小学館)のなかで、「人はそっとしておけるものが多ければ多いほど、豊かなのです」と述べている。これは究極の真実である。マーケットで何百万ドルも稼いでトレーダーとして成功を収めたとしよう。まるで当たり前とでも言うようにせっかく築いた富と引き換えにいろいろなものを手に入れても、その所有者になるどころか最終的には物に所有される運命をたどるだけだろう。本当にそれだけの価値があるのかどうか、自分に問いかけてみてほしい。このような「オニール流」の倫理観を持っていれば、長期にわたりトレーダーとして成功しても生き残れる資質を手に入れることができる。そうすればどのような職業であっても、物質主義やエゴから遠ざかることができるだろう。それが最終的にあなたの自己崩壊を防ぐことにつながるのである。エゴを満たす手段として投資をするのは惨事を招く行為である。このような物質主義的な倫理観を持ってしまうのは、投資の本質を理解していないからである。海の大波に乗るサーファーは、自分はただ波に乗る存在であることを知っている。同じようにわれわれ投資家も、自分自身が波ではないことに気がつく必要がある――われわれはただ波に乗るだけである。われわれにできるのは波の大きさや長さを判断することで、できるだけ長くその波に乗り続けること、それだけなのだ。波の大きさや長さを決めるのは、波であってわれわれではない。世界中の素晴らしい波に乗る経験豊富なサーファーたちは、つつましさをけっして忘れない。彼らは海の持つ力と、その大本である絶大な自然の力に対して、深い尊敬と畏怖の念を持っているのである。われわれも投資家としてマーケットの持つ力とその大本である絶大な自然の力に対する尊敬の念を持つべきである。リチャード・ワイコフの言うとおり、マーケットとは大衆の心理そのものである。マーケットの動きに秘められた教えを理解することで、マーケットでの波乗りを最大限に楽しむことができるのである。サーファーと同じで、エゴを満たすことばかり考えていると、大きな力を誤って判断したり見失ったりしてしまう。そのようなトレーダーはマーケットの力によって一撃を食らわされ、エゴから生まれた間違った投資判断ともども、一発退場を強いられるはめになる。トレーダーであれば、このような偉大な力の存在を認め、そしてその力の前で投資をするときには謙遜心を忘れてはならない。ウィリアム・オニールはよく、膨らんだエゴほどトレーダーを崩壊させるものはない、と言っていた。オニールを見ていると、トレードの勝敗で判断を変えたり、大きな利益が出ているからといって興奮することなどけっしてない。マーケットが大きく上昇してみんなが興奮しているときにオニールに電話をしても、オニールはほとんど無関心だった。実際、1998年後半にわれわれが保有していた銘柄がすべて信じられないくらいに急上昇したことがあった。電話口で、保有株がどれほど急騰しているか、そしてどれだけの利益が出ているかを興奮しながらオニールに話すと、それを静かに聞いていたオニールは、ハァーと長いため息をついて(憤慨のため息である)、ぶっきらぼうに「そんな株の話など聞きたくない」と言って、無愛想に電話を切ってしまった。映画『ウォール街』のなかで主人公のゴードン・ゲッコーが「投資の最初のルールは興奮してはならないということだ。判断力が鈍るだろう!」と言っていた。同じメッセージをオニールなりに伝えようとしていたのかもしれない。エゴを封じ込めるには考えるだけでは足りない。自分の感情やそれが自分の生理学にどのように影響を与えているのかを観察しなければならない。呼吸が浅く速くなってはいないか?心臓の鼓動は?手は汗ばんでいないか?今の自分には力がみなぎっているか?それともイラ立ちを感じるか、高揚しているのか、希望を感じるか、あるいは不安を感じているのか?このように感情的な要素に目を向けることで、感情に埋もれないようにするのだ。エックハルト・トールの著書『人生が楽になる超シンプルなさとり方』(徳間書店)は、この問題について詳しく解説されている(これについては第10章で詳しく取り上げる)。トールは、感情というものはわれわれが思考の行き着く先に作り上げてしまう落とし穴である、と説明している。現在に集中し、そのような感情の落とし穴に落ちかけていることに気がつくことができれば、イラ立ちのようなマイナスの感情であろうと、喜びからくる興奮のようなプラスの感情であろうと、その瞬間を生き抜くことでエゴを葬り去ることができるのである。エゴを葬り去るには投資の動機を理解することも必要である。主に物質的な欲求を満たす手段としてのみトレードを考えてしまうと、そこにエゴが生まれるすきを与えてしまう。もちろん、努力が実ったことを喜ぶことに何の悪いところもないのだが、自分を見失ってはならない。ウィリアム・オニールならば、「われを忘れては元も子もないぞ!」と言っただろう。最後に、マーケットに対して健全な尊敬と畏怖の念を常に持ち続けることを肝に銘じてほしい。マーケットを動かす力は、われわれ人間よりもはるかに強く、そして偉大である。だからわれわれができる唯一のことは、その偉大な力の動きに同調する形で利益が出せるような投資判断をしていくことなのである。人間は非力な生き物である。マーケットのような偉大な力をコントロールすることなどできるわけがない。抵抗すれば必ず自己崩壊を招く。それを避けるには、海に住む魚のように、われわれもマーケットという潮流と一緒に泳ぐしかないのである。