平野レミ 和田誠さんの喪失癒やした義娘・上野樹里の一言

一昨年、最愛の夫を亡くし、失意に沈んでいた平野レミさん。今も寂しくて仕方ないけれど、少しずつ前向きになれてきたといいます。2年間の気持ちの変化を聞きましたーー。

  生前の家族旅行。上野樹里も笑顔を見せる  「家がこんなにお花だらけになったのは初めてよ! でも、三回忌の法要とかはやらないの。和田さんには似合わないからね」  

こう語るのは、料理愛好家の平野レミさん。『週刊文春』の表紙を手掛けるなど、著名なイラストレーターだった、最愛の夫・和田誠さん(享年83)は’19年10月7日に天国へ旅立った。  取材当日は、三回忌の前日で、レミさんの自宅には、黒柳徹子さん(88)をはじめとする多くの著名人から、和田さんを偲ぶ花がたくさん届いたという。  おしどり夫婦としても知られ、和田さんを失ったレミさんの悲しみは果てしないものだった。  「今も気持ちの整理はついてない。だから私思うの。あんまり好きな人と結婚したらダメよ。亡くしたときのショックが大きすぎるから」  

出会いのきっかけは、当時レミさんと久米宏さん(77)が共演していたラジオ番組内のコーナー「ミュージック・キャラバン」(TBSラジオ)を和田さんが聞いていたこと。ラジオ越しでも伝わるレミさんのチャーミングさに、和田さんはほれ込んだ。共通の知人を介して食事にこぎつけ、なんと10日で結婚。当時の和田さんの印象を、レミさんはこう語る。  「ボーイフレンドはいっぱいいたけれど、和田さんは今までの男の人と種類が全然違った。品があって、物知りで、ひけらかさないし……。何よりも、地面に足が扁平足のようにビタッとついていて神々しい。この人といたら全てうまくいくような気がしたの」  その後の結婚生活でも、和田さんはレミさんのことを、なんでも受け入れてくれる優しい人だった。  2人の子宝に恵まれ、“料理愛好家”としての活躍も支えてくれた和田さんとの結婚生活は、幸せに満ちたものだったという。  これからもずっとそんな日々が続くーー。そう思っていた矢先、和田さんが病いに倒れた。  「最期のときが近くなって、和田さんに『私と結婚したのはあってた?』って聞いたら『あってた』って言うの。『私でよかったの?』って聞いたら『よかった』って言ってた。確かめられて、本当によかった」  

 

■今も和田さんに会いたくて仕方ない  家族葬で行われたお葬式は、“和田さんらしさ”を大切にした。  「お葬式はみんな喪服を着ないで、ジーパンにスニーカー。和田さんは昔からずっとジーパンで生活していたから。事務所の人が葬儀場に遅れてきても、ジーパンはいてるから、案内の人は名前も聞かずに『あちらです』とジーパンの集団がいるところに案内してくれたそうよ(笑)」  和田さんの好きなフランク・シナトラの曲を流してかっこいい葬式だった、とレミさんは懐かしむ。  「仏壇も似合わないから置いてない。家のサンルームにあるテーブルの上に篠山紀信さんが撮ってくれた和田さんのかっこいい写真が飾ってあってね、その周りに和田さんがデザインしたたばこのハイライトとか思い出の品やお花を飾ってる。それで毎朝、自分と和田さんの分のお茶を入れて乾杯して、『はい、お父さん~』って写真の唇のところまでお茶を持っていくの」

47年間、幸せいっぱいの結婚生活をおくったからこそ、和田さんがいなくなると、自分が自分でなくなってしまうように感じた。  「私は和田さんがいたから、和田さんの手のひらの上で自由に好き放題できた。失敗しても『和田さんダメになっちゃったよ』って言ったら和田さんは『そうか、そうか』って見守ってくれる。けど、その和田さんの手のひらがなくなって、ストン、て地獄に落っことされちゃった。少しずつは立ち直ってるけど……。でも会いたいな、会いたいな」  

 

■久しぶりに息子の手を握って気づいた  最愛の人を失った悲しみは、そう簡単に癒えるものではない。それでも“少しずつの立ち直り”を支えたのは、和田家の面々だ。  「息子たちが毎日ご飯に誘ってくれてさ。孫たちも家に来たり、泊まりに来いって言われたり。私をずっと一人にさせなかった」  なかでも、レミさんが前を向けたきっかけは、長男の唱さん(45)の妻である上野樹里(35)が与えてくれたという。  「唱の家に行ったときに、樹里ちゃんに『和田さんの思い出ってつかめないじゃないの。だからさみしいのよね』って言ったの。そしたら樹里ちゃんが『唱さんとレミさん、手を出して。唱さん、レミさんの手を握って』って」  レミさんが最後に唱さんの手を握ったのは、まだ唱さんの手が“もみじみたいに小さかった”ころ。それが今は、大人のガッチリした手になっていた。  「それで唱が、私の手をグッと握ってくれたときに『和田さんが半分入ってる』と思ったの。そのときに、胸のつかえがストーンと取れた」  

 

今の生きがいは、和田さんにおいしいものを食べさせてあげたいと試行錯誤するなかで気づいた、料理を作ることの喜びだ。  「私が電車に乗っていたら知らないおばさんに『レミさんですか? レミさんのレシピで作ったら、うちの主人がおいしいって言うんですよ』って声をかけられて。名前も知らない人とベロでつながってるのがすごくうれしかった。ベロの絆“ベロシップ”ってやつね」  今後も、簡単でおいしい料理をたくさん作ってベロシップの輪を広げたい、とレミさんは語る。  「ベロシップの原点は和田さんなのよ。今、私がこうしていられるのも和田さんのおかげだなあ」  レミさんが和田さんを必要とするように、世間も和田さんを必要としている。10月9日からは東京オペラシティアートギャラリーで「和田誠展」が開催されている。さらに、10月15日には、和田さんが訳詞をした日本版「マザー・グース」である『オフ・オフ・マザー・グース』のCDが発売予定だ。  おしどり夫婦の多彩な活躍は、今後も私たちに、驚きや楽しみを与え続けるだろう。