始まりは女児の声「バス来ましたよ」…失明男性通勤をサポート、バトンは10年以上に

難病で視力を失った和歌山市職員の山崎浩敬さん(58)が10年以上にわたり、地元の小学生に助けられながらバス通勤を続けている。ある女子児童に声をかけられたのが始まりで、その児童の卒業後も後輩から後輩に「善意のバトン」がつながれてきた。1月、児童たちと再会した山崎さんは「温かい手で支えてもらうのがうれしかった。不安だった通勤が楽しい時間になった」と笑顔を浮かべ、児童たちも「私たちも毎朝が楽しみになりました」とにこやかに答えた。(大田魁人)

 山崎さんは32歳だった1994年、進行性の目の難病「網膜色素変性症」と診断され、40歳を手前にして通勤で使っていたバイクの運転もできなくなった。

 2005年に休職して訓練施設で白杖の使い方などを学び、06年に復職。最初は家族に付き添ってもらっていたが、08年から一人でバス通勤するようになった。

 視力の低下でバスの乗り口を探すことにも苦労したが、一人で通勤を始めて1年がたった朝、停留所で待っていると、「バスが来ましたよ」と少女の声がした。「乗り口は右です。階段があります」。少女はそう言い、座席に案内してくれた。

 同じバスで通学する和歌山大付属小学校の児童だった。降りる停留所も同じで、それ以来、名前も知らない女子児童は毎日助けてくれた。児童は3年後に卒業したが、新学期に入ると、別の女子児童が助けてくれた。

 山崎さんは14年に失明したが、児童たちのサポートは途切れることなく続いた。「おはよう」「寒いね」。児童との何げない会話が朝の楽しみになった。

 山崎さんは昨年、児童たちへの感謝の思いをパソコンの音声入力機能を使ってつづり、「小さな助け合い」をテーマにした全国信用組合中央協会主催の作文コンクールに応募した。

 「教わるのではなく、始めた親切。それを見ていた周りが、何も言わないのにやってくれる」

 作品は最高賞に選ばれ、山崎さんは賞金で視覚機能を向上させる教材を購入し、小学校に贈ることにした。寄贈のため、1月25日に同小を訪れた山崎さんは、支えてくれた卒業生、在校生の4人と再会した。

 現在は中学2年の女子生徒(14)、1学年下の妹(12)、末の妹(8)の3姉妹と、末の妹の友人の女児(9)。

 女子生徒は8年前に同小学校に入学した後、1学年下の妹と一緒に山崎さんのサポートを続けた。女子生徒は「お母さんに『困っている人を助けなさい』と言われていたからやりました。当たり前のことです」と話す。2人の卒業後は、その役割を末の妹と友人が受け継いだ。

 末の妹の友人は、この経験を機に、障害のある人を支える職業に就きたいと思うようになったといい、「夢を持つきっかけをくれてありがとうございます」と山崎さんに伝えた。

 山崎さんは当初、「自分を助けてくれているのは4人だけ」と思い込んでいたという。だが、寄贈にあたって学校側と話をするうちに、4人より前にも3年間、山崎さんを支えた女子児童がいたことや、いつも助けてくれる児童が休みの日は、ほかの児童がサポートしてくれていたことも知った。「自分が思う以上の多くの支えがあったことを知り、ますます温かい気持ちになった」と語る。

 目の病気で一時は仕事を辞めようと思ったこともあったというが、「子どもたちの支えのおかげで定年まで頑張れそう」と話す。新型コロナウイルスの影響で昨春から時差出勤となり、児童の通学時間帯と合わない日が続く。「コロナが終息し、一日でも早く、また一緒にバスに乗れる日が戻ってほしい」。そんな穏やかな日常を待ち望む。